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仙台高等裁判所 昭和38年(ネ)27号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。被控訴人は控訴人清野キヌに対して金七〇〇、〇〇〇円、控訴人佐藤菊雄に対し金八〇〇、〇〇〇円及び右各金員に対する本件反訴状送達の翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに右金員の支払を求める部分につき保証を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述、証拠の提出、援用、認否は、次に記載する事項のほか、すべて原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

(被控訴代理人の陳述)

(一)  本件山林中、原判決第一物件目録(10)及び(11)の二筆の山林を除くその余の二一筆の山林は被控訴人がその先代から相続により所有権を取得し、終戦当時いずれも被控訴人の所有に属していたところ、当時山林についても農地同様一定反別をこえる山林は政府に買収されるとのうわさが真実らしく伝えられ、森林により生活してきた被控訴人はこれにあわて、買収を免れようとして、昭和二二年三月一七日前記二一筆の山林につき贈与を原因として弟和田徳の所有名義に移転登記を経由したのであるが、その後山林については農地のごとく買収されないことが明らかにされ、被控訴人は登記を回復することとなつたが、その際被控訴人は、将来における相続とその課税とを考慮し、本来自己の所有名義に移転登記すべきところ、昭和二五年五月五日前記二一筆の山林につき売買を原因として長男和田恭二郎の所有名義に移転登記を経由したもので、また前記二筆の山林は、被控訴人が同年六月一二日古沢内蔵治から買受けたものであるが、右と同様の理由により同日売買を原因として古沢内蔵治から恭二郎の所有名義に移転登記を経由した。

しかし、被控訴人は和田徳との間に前記二一筆の山林につき贈与契約を締結したこともなく、恭二郎との間に前記二一筆の山林及び二筆の山林につき、それぞれ売買契約を締結したこともない。もとより和田徳と恭二郎間に前記二一筆の山林につき売買契約が締結された事実もない。

したがつて、被控訴人は依然として本件山林を占有管理し、立木を伐採し、本件山林に対する課税を納付し、本件山林についての登記済証や恭二郎の印なども同人の保管に委せず自らこれを保管してきたのである。

以上の次第で、恭二郎は本件山林を自ら処分する権原を有しないことは十分に承知していたもので、ことに前記二筆の山林については、自らの所有名義に移転登記がなされたことも知らなかつたのである。

仮りにそうでないとしても、恭二郎は本件山林がその所有名義に登記されているところから単純に本件山林が自己の所有にかかるものと信じ、売買契約を締結したものであつて、本件山林が被控訴人の所有であることを知らなかつたから、民法第五六二条第一項にいう「其権利ヲ取得シテ之ヲ買主ニ移転スルコト能ハサルトキ」に該当し、右「移転」とは所有権の完全移転をいうものであり、現実的占有移転も含まれるものと解すべきところ、本件山林は前記のごとく被控訴人が占有しており、恭二郎は控訴人清野キヌにその占有を移転することが出来ないのであり、買主は契約当時買受物件が売主に戻せざることを知つているのであるから、恭二郎は同条第二項の規定より損害賠償をしないで契約解除をなし得るものといわなければならない。

ところで、恭二郎は昭和三七年一一月一六日同控訴人に対し前記売買契約を解除する旨の意思表示をなしたから、同控訴人は本件山林の所有権を有しない。

(二)  仮りにまた、本件二一筆の山林につき、被控訴人が恭二郎の所有名義に移転登記を経由した事実をもつて、死因贈与とみるべきものとするも、被控訴人が生存中は贈与の効果が生じないところであり、恭二郎は単に登記簿上所有名義を有するにすぎないから、通謀虚偽表示として民法第九四条第一項により規制せらるべきものである。

(三)  控訴人キヌは、恭二郎に本件山林の所有権がないことを知りながらこれを買受けたものであり、学者のいう「物的支配を相争う相互関係に立ち、かつ登記に依頼して行動すべきものと認められる者」に当らないから、民法第一七七条にいう第三者ではない。

したがつて、被控訴人は同控訴人に対し登記なくして本件山林の所有権を対抗することができる。

(四)  控訴人らは原判決の認定を非難するが当らない。控訴人キヌの代理人である俊男は、恭二郎を昭和三三年九月三〇日から一〇日間も上山温泉宿に匿し、その間本件山林を調査し、時価数百万円の本件山林につき、恭二郎にわずか金一五〇、〇〇〇円をにぎらせただけで所有権移転登記を経由したものであつて、控訴人キヌの善意の主張は理由がない。

(控訴人ら代理人の陳述)

(一)  本件山林は昭和二五年中古沢内蔵治または和田徳から和田恭二郎に対しそれぞれ所有権移転登記がなされたものであり、従来被控訴人が所有していたものを便宜上名義を仮装して事実に反しその子恭二郎の所有名義に移転登記を経由した場合とは異なり、恭二郎の所有権取得については、被控訴人が全く関知しないところである。しかも、本件山林が恭二郎の所有名義に移転登記をしてからすでに一〇数年を平穏に経過しているのであつて、この事実は本件山林の帰属の認定につき軽視することを許されない。

本件山林が恭二郎の所有に移転登記を経由した昭和二五年は、同人が成年に達した年に当ることが明らかであり、仮りに被控訴人と恭二郎とが父子の間柄で、子である恭二郎の意思の介入なく売買が行なわれたことが容易に想像されるとしても、被控訴人が無断で恭二郎の印を冒用するなど特別の事情の認められない本件においては、恭二郎の意思の介入なく所有権移転登記手続がなされるものと認定することは許されない。

被控訴人が恭二郎に対し本件山林につき恭二郎の所有名義に移転登記を経由したことを洩らし、恭二郎がこれを知つたことは、取りもなおさず本件山林の売買につき恭二郎の意思が介入したものといわなければならない。

父が子の将来を考え資産を買与えることは世上一般に行なわれるところであり、本件は正にその好事例であり、異とするに当らない。

原判決は、本件山林所有権は売買当事者以外の被控訴人に留保した旨認定したが、昭和二五年本件山林の売買並びにその所有権移転登記を経由したことは極めて明らかな事実であり、恭二郎に対する所有権の移転を排除する特別の意思表示がなされた形跡は全然ないのであつて、被控訴人もまたかかる事実は主張していないのであつて、原判決の認定は相当でない。もつとも、被控訴人が本件山林を買受けるに際し、その契約の衝に当り、対価を支払つた者が被控訴人であることは容易に推認し得るのであるが、かかる事実は直ちに本件山林の所有権取得を意味するものではなく、原判決も説示するように、農家の慣習に従い、被控訴人の家業を二男恭二郎に継がせ、主要な財産は同人が相続することを予測し、それゆえにこそ相続税が課税される関係をも考慮したのであつて、被控訴人が恭二郎に対し本件山林を贈与し、同人のためにその所有権を確保してやつたものと認定することがより自然的で常識的である。もし、このように解しないと、被控訴人が死亡した場合に、相続人間に予期せざる紛争を巻起すことはもちろん、事情を知らない第三者を永く不安定の立場におき、法律上幾多の混乱を生ずることは火を見るよりも明らかである。

被控訴人は、恭二郎の名義をもつて本件山林を買受けたのであつて、永くこの状態を続けるからには、恭二郎が自己の所有名義を利用して、いつこれを処分するかは計り知れない状態においたのであり、これを半面より見れば、被控訴人は当初から恭二郎に本件山林を処分することを許していたとも見られるのである。

(二)  原判決はまた、被控訴人が本件山林につき恭二郎の所有名義に移転登記を経由した事情につき被控訴人が自己の所有名義に登記すると、財産取得に関し課税されるほかに、恭二郎が相続した場合には高額な相続税を賦課されることを考えた旨認定したが、我が税法上かかる手段を用いても、財産取得税や相続税に相当する贈与税は免れ得ないところであり、我が税法上課税額の減少を生ぜしむる余地はないのであつて、原判決の認定は根本によりくつがえらざるを得ない。

(三)  本件山林につき経由された恭二郎の所有登記は、恐らく訂正される機会もその必要もなくして終るものと想像され、将来被控訴人が死亡した際には、必ずや本件山林は登記簿の記載にしたがい相続財産とされずに恭二郎の所有財産として処理されることは必然であり、善意の第三者である控訴人の関係においてのみ、恭二郎の財産でないというがごときは理不尽である。

以上のごとき経緯を通観するならば、恭二郎のためになされた所有権移転登記と同時に該登記に対応する実体法上の権利の移動があつたものと認めることが相当である。

(四)  仮りに被控訴人が本件山林の所有権を有するとしても、その登記がなくして第三者たる控訴人に対抗することができない。しかるに原判決は登記の公信力と対抗力の問題とを混同して、実質権者たる被控訴人に対抗し得ないと断じたことは誤まりである。

(五)  原判決はまた、控訴人キヌが悪意であることの事情として、理由三、前段(1)ないし(8)及び後段(1)ないし(3)の事実を認定しているが、右前段(4)ないし(7)の事実は真実と甚しく相違するものである。仮りにそうでないとしても、本件山林の所有権の所在に関する同控訴人の悪意の認定資料となるものではない。

すなわち、右(1)・(3)の事実は、同控訴人の代理人である清野俊男が、家長である被控訴人において、恭二郎の財産処分を好まず、被控訴人の一徹な気質からなんらかの手段を取るであろうと予想したまでのことであり、悪意の証左とはならない。そして(2)・(5)の事実は、右のごとく被控訴人が家長として反対することを予想し、本件山林の買受を希望する者として、当然とるべき処置であり、(6)の事実は、俊男が本件山林の所有権を被控訴人に留保した事実を了知したものとはなし難く、また、(7)・(8)の事実のごときは道義上の問題にとどまらず、同控訴人に法律上の義務を課するものではなく、問題とするに足りない。強いていうならば、俊男が自家の利益を追うことにのみ急にして、取引の相手方及びその一家の実情並びに爾後の紛争を予想しながら事を運んだことの取引道義上の問題としての非難の的となることがあつても、該法律行為の効力に影響を及ぼすものではない。

すでに述べたとおり、恭二郎は十数年前本件山林を買受けたのであり、その際該所有権を被控訴人に留保したというがごとき被控訴人の純然たる内部意思は、特に外部に表示されたことを認め得る証拠のない本件において、知情の対象たり得るはずはなく、仮りに同控訴人が被控訴人に秘して取引を運んだとしても、法律上悪意で行つたものとなすことができない。また、原判決は、控訴人キヌが夫俊男を代理人として本件山林の売買契約を締結したものであり、その善意であるか悪意であるかは、代理人たる俊男につき判断すべきものとした。なるほど俊男は右売買契約の準備、交渉等全面的に協力したが、恭二郎は昭和三二年一〇月一〇日及び翌一一日の両日同控訴人家に宿泊して同控訴人と面談し契約を締結したものであつて、代理人により契約を締結したものではないから、同控訴人につき善意であるか悪意であるかを定めなければならないのである。

(六)  控訴人らの従来の主張に反する被控訴人の主張事実は否認する。

(証拠関係)(省略)

理由

第一(本訴請求について)

(一)  原判決添付の第一、第二物件目録記載の各不動産は、和田恭二郎の名義に所有権移転登記がなされていたところ、昭和三二年一〇月一〇日右恭二郎が控訴人キヌに同不動産を売渡し、山形地方法務局海味出張所同月一二日受付第四八五号をもつてその旨の所有権移転登記を経由し、次いで原判決添付第一物件目録記載の各不動産につき、同出張所同月二八日受付第四九七号をもつて、同控訴人から控訴人菊雄に対し同日売買を原因として所有権移転登記を経由し、原判決添付第二物件目録記載の各不動産につき、同出張所同月三一日受付第五一五号をもつて、控訴人キヌから控訴人啓太郎に対し同月三〇日売買を原因として所有権移転登記を経由したことは当事者間に争がない。

(二)  被控訴人は、本件不動産はいずれも被控訴人の所有にかかるところ、恭二郎の所有であるがごとく仮装して所有権移転登記を経由した旨主張するに対し、控訴人らは、右恭二郎の所有であつたものである旨争うので判断するに、成立に争のない甲第一・三・四号証、第一七号証、第一八ないし第二〇号証の各一ないし四、第二三号証、第二五号証、原審における被控訴本人尋問の結果により成立を認める甲第二号証、原審証人古沢内蔵治・飯野光一郎・和田恭二郎(第一回)の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果、本件弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認定することができる。

すなわち、原判決第一物件目録(10)・(11)を除く二一筆の本件不動産は、被控訴人の先代峯麻津の所有であつたが、被控訴人は昭和八年一一月一三日同人の隠居によりその家督を相続してこれを所有するに至つた。ところが終戦後いわゆる農地開放に際し、山林により生活してきた被控訴人は、山林が買収されることをおそれ、右不動産を弟和田徳に贈与したこととして昭和二二年ころ同人名義に所有権移転登記を経由した。しかし、被控訴人は、右不動産の占有を継続して地上立木の間伐等の手入を行い、かつ徳の納税代理人として事実上税金を負担していたし、また、右不動産上の立木を徳から代金三〇、〇〇〇円で買受けたこととして、徳から昭和二三年二月一八日付立木売渡書(甲第二号証)を差入れさせて所有権確保の方法をも講じていた。その後前記不動産が買収されるおそれのないことを知つた被控訴人は、昭和二五年五月五日徳から同不動産の所有名義を回復することになつたが、その際被控訴人は老齢(明治二七年三月二三日生)に達し、長男義一は生後間もなく死亡し、将来二男恭二郎に家業を継がせる考えであり、自己名義に所有権移転登記を経由すると、将来恭二郎が相続した場合に相続税が課せられることを考え合わせ、これを免れるため前記不動産につき、山形地方法務局海味出張所昭和二五年五月一六日受付第二九四号をもつて、同月五日売買を原因として恭二郎の所有名義に移転登記を経由したこと、原判決第一物件目録(10)・(11)記載の二筆の不動産は、もと古沢内蔵治の所有であつて、被控訴人は昭和二五年六月一二日同人からこれを買受けたが、その所有権移転登記は前記と同様の配慮から恭二郎の所有名義に移転登記をすることとし、山形地方法務局海味出張所同日受付第三七五号をもつて、同日売買を原因として恭二郎の所有名義に移転登記を経由したこと、恭二郎は前記売買や所有権移転登記には全然関与したことがなく、被控訴人が独断でしたものであり、恭二郎の所有名義に移転登記後も、前記二一筆の不動産については従来と同様にこれを占有して間伐その他地上立木の手入を行い、あるいは地上立木を伐採してこれを売却するなど独断専行し、前記二筆の不動産については買受後自ら占有して使用収益し、以上の不動産に対する公租公課は自ら負担し、権利証その他の書類も自ら保管して恭二郎の保管に委せないばかりでなく、後に認定するように恭二郎が度々家出して落付かないため、その実印をも取上げて容易に売却するなどできないようにしていたこと、被控訴人は前記登記後(その日付は不明である。)恭二郎に対し登記関係書類を示して、本件不動産を同人の所有名義に登記したことを明したことが認められる。

以上認定の事実を考究するに、被控訴人は恭二郎に対し、右登記の事実を明した時において、被控訴人が死亡によりその効力を生ずる贈与をなしたものと認められることが相当である。

仮りに、前記二筆の不動産につき、被控訴人が恭二郎との間に贈与契約を締結したものでないとしても、被控訴人は将来生ずる相続を考慮して恭二郎の所有名義に移転登記を経由したことは前記のとおりであるから、特別の事情の認められない本件においては、右二筆の不動産については、恭二郎の所有に登記した昭和二五年六月一二日において遺贈したものと認むべきであるから、当時贈与の効力を生じないことについては右と同様である。

右認定に反する原審証人清野俊男、当審証人大泉慶三郎の各証言、原審における控訴人菊雄及び控訴人啓太郎の各本人尋問の結果は、前記各証拠に照合して信用し難く、その他右認定を左右する証拠はない。

控訴人らは被控訴人がその意思にもとづき本件不動産を恭二郎の所有名義に移転登記を経由したものであり、同人がこれを処分する危険は当初より知り得たところであるから、あえて同人の所有名義に移転登記を経由した以上、当初より本件不動産の所有権を同人に帰せしめたものというべく、また、被控訴人がいつたん所有権を取得したものとしても、本件不動産は被控訴人が恭二郎に贈与したものと認むべきものである旨主張するが、全証拠によるも、被控訴人が本件不動産につき恭二郎の所有名義に移転登記を経由した昭和二五年当時において、被控訴人が恭二郎との間に、本件不動産の所有権を移転する契約を締結したことはもとより、被控訴人が恭二郎に本件不動産の所有権を得しむる必要ないし相当とする事情も見当らないし、被控訴人がその家業の全部ないし一部を恭二郎に委せ、あるいは本件不動産の占有ないし管理を恭二郎に移すなど、所有権の移転を推認すべき外表的変化は全く見受けることができないところであり、本件不動産につき前示所有権移転登記に相当する所有権の移転があつたと認めることは相当でない。

そうすると、本件不動産につき前示のごとく恭二郎の所有名義に移転登記を経由したことは、民法第九四条により律せらるべく、当事者間においてはなんら効力はないけれども、善意の第三者に対してはその無効をもつて対抗することができないものといわなければならない。

(三)  そこで控訴人キヌが本件売買契約締結当時、本件不動産が恭二郎の所有に属していないことを知つていたかどうかを考えるに、原審証人和田恭二郎(第一・二回)・清野俊男(第一回)の各証言、これら証言により成立を証める乙第一一号証の一・二、本件弁論の全趣旨によると、恭二郎と控訴人キヌ間の本件売買契約の締結には、同控訴人の夫である清野俊男が同控訴人の代理人としてもつぱらその衝に当つたことが明らかであるから、民法第一〇一条の規定により前記知情の有無は、同控訴代理人である右清野俊男につきこれを決すべく、進んでこの点につき考えるに、前記甲第二三号証、乙第一一号証の一、二、成立に争のない甲第八号証、第九・一〇号証の各一・二、第一一号証の一、第一二号証の一ないし八、第一四号証の一・三七、乙第三・七号証・第一五号証の一ないし三、第一六ないし第一八号証、第二〇号証の一ないし四、第三〇号証、原審証人清野俊男の証言(第一回)により成立を認める甲第七号証の二、第一四号証の二ないし三六・三八ないし四一(ただし、同号証の三ないし一四・一六ないし二八・三〇ないし三六・三八ないし四一中・官署作成部分の成立については争いがない。)乙第一一号証の三、第一九号証、原審証人和田恭二郎の証言(第一回)により成立を認める乙第一二ないし第一四号証、原審証人渋谷清治、飯野光一郎、和田恭二郎(第一・二回)・清野俊男(第一・二回)・佐藤博・佐藤亀治の各証言、原審における被控訴人本人尋問の結果、原審における検証の結果、鑑定人佐藤喜久治郎の鑑定の結果を総合すると、次の事実を認定することができる。

被控訴人は肩書地で農業を営み、西川町屈指の山林所有者で、その二男恭二郎(昭和四年三月八日生)は、山形県立置賜農学校卒業後家業に従事してきたが、昭和三〇年三月家出して以来度々家出するようになり、被控訴人はその都度同人の行方をさがし求めて連れ戻していた。それで、被控訴人は自らは老齢にあり、将来は恭二郎に跡を継がせる考えでいたけれども、家政を委せることができずに自ら行つていた。

恭二郎は、昭和三二年九月ろくに所持金も持たずにまたもや家出し、たちまち生活にゆきづまり、同月三〇日東京から引返し、司法書士並びに西川合資信用会社の代表社員として金融業を営んでいる清野俊男を訪ね、家出して金に困つている事情を告げ、五〇〇、〇〇〇円の借用方申入れたところ、同人は不動産を所有するならばそれを担保として貸与してもよい旨答えたので、恭二郎は山林を所有している旨を伝え、その略図や立木の情況などを説明したところ、該山林を調査するまでの間高松温泉三木旅館で待つていてもらいたいということであつたため、恭二郎は上山市の同旅館に宿泊して待つていた。

俊男は、司法書士をしていた父栄時が病弱であつたため、小さい時からその事務を手伝い、昭和一四年ころ自ら司法書士を開業するようになつてからは自らの業務として、長年にわたり被控訴人がした多くの各種不動産登記申請書を記載し、また、西山町が村であつた当時被控訴人とともに同村議会議員に当選し、その職にあつたこともあり、被控訴人及びその財産の情況を知つていた者で、恭二郎から前記金融方申込を受けてから、少くとも本件不動産が恭二郎の所有名義に登記されている事実を確かめたうえ、昭和三二年一〇月一〇日前記三木屋旅館に恭二郎を訪ね、所持金がなく生活に困窮していた同人に対し、本件不動産を売却するよう申入れ、同人がこれを応諾した結果、同人が控訴人キヌに対し本件不動産を代金五〇〇、〇〇〇円で売渡す旨の合意が成立し、恭二郎は、俊男の文案により売渡証(乙第一一号証の一)、領収書(同号証の二)、念書(乙第一二号証)等を作成して差入れたところ、俊男は恭二郎を山形市の弁護士皆川泉方に案内して同弁護士を紹介したうえ、同弁護士とともに料亭「鴻の巣」に到り、恭二郎にすすめて同弁護士に所有権移転登記申請のため委任状(甲第一二号証の三)を交付させ、同弁護士は前記売渡証の末尾に「右双方の意思通り記載し立会人となる。弁護士皆川泉」と記載したうえ名下にその印を押し、本件不動産についての権利証及び恭二郎の実印は被控訴人が保管していたため、恭二郎は改印届をして、登記申請に必要な書類を整え、権利証にかえて保証書により登記手続をなす話合のもとに、恭二郎は同夜俊男方に宿泊し、翌一一日西川町役場に行き、俊男が予め用意した「和田」と刻んだ印により改印届をなし、その印鑑証明書の交付を受けたうえ、これらを俊男に交付し、同人において恭二郎が各作成した前記売渡証等の恭二郎の名下に押印し、かつ所有権移転登記に必要な書類に押印し、俊男は翌一二日訪ねてきた弁護士皆川泉とともに山形地方法務局海味出張所に出向き同弁護士は恭二郎及び控訴人キヌの登記申請代理人となり、本件不動産につき所有権移転登記を申請し、これが受理されて前示のごとく所有権移転登記がなされたのであるが、とりわけ

(1)  俊男は、本件不動産が数百万円の価額(昭和三三年一〇月当時、恭二郎が控訴人キヌに対し代金三〇、〇〇〇円で売渡した俗称宝畑及び春木場の立木の伐木代金を含む本件不動産は約四、一四〇、〇〇〇円余の価額を有していた。)を有していたのに、恭二郎が窮状にあることに乗じ、わずか五〇〇、〇〇〇円の代金額で売却させるに至つたばかりでなく、本件不動産を買受ければ、将来被控訴人との間に訴訟上の争となることを予想し(恭二郎が俊男の文案により記載し差入れた前記念書には、万一被控訴人が控訴人キヌに対し、種々の理由をこしらえ法律的事件に作つても、全部恭二郎の責任である旨の記載がある。)その費用を計算に入れると、二〇〇、〇〇〇円しか渡すことができないとて、右二〇〇、〇〇〇円のうちから、宿泊料・自動車賃等の費用額二〇、〇〇〇円を差引き、三〇、〇〇〇円は恭二郎が東京に帰り落着先を連絡してから送金することとし、昭和三二年一〇月一二日控訴人キヌを通じ恭二郎に対し一五〇、〇〇〇円を交付したのみであつたが、同年一一月一日被控訴人は、控訴人菊雄及び控訴人啓太郎を被申請人として本件不動産につき山形地方裁判所の処分禁止等の仮処分決定を得、これを執行したため、俊男はにわかに態度を改め、同控訴人名義で借用証(乙第三〇号証)を恭二郎に、差入れ、支払を留保していた三〇〇、〇〇〇円を支払うに至つたこと。

(2)  俊男は、本件不動産についての権利証及び恭二郎の実印は、被控訴人が保管していることを恭二郎から聞知しながら、同町内に居住していた被控訴人から右権利証や実印の交付を受けようとせず、改印届や保証書により所有権移転登記手続をとつたことは、俊男が本件不動産の売買に被控訴人が当然に反対することを予期したものであり、前記乙第一二号証の念書及び証と題する乙第一三号証(この書面も恭二郎が俊男の文案により作成したものである。)を本件売買契約と同時に差入れさせ、地上立木を含む本件不動産の帰属につき紛争を生じ、控訴人キヌに損害が生じた場合には、恭二郎においてその損害を賠償する旨約さしているところよりみると、俊男は恭二郎が本件不動産を処分する権能がないことを知り、これに備えたものと推認され、そのゆえにこそ俊男は、恭二郎を上山市の温泉旅館や自宅に泊めおき、隠密裡に事を運び本件売買契約を締結し、これを知つた被控訴人が昭和三二年一〇月一八日飯野光一郎らを通じ示談交渉方申入れると、これに応ずるかのような態度を示しながら、本件不動産のうち原判決第一物件目録記載の一一筆の不動産を被控訴人の近隣に居住し、別件訴訟事件に関係のある控訴人菊雄に売渡したものとして同月二八日その旨の登記を経由し、原判決第二物件目録記載の一二筆の不動産を控訴人キヌの兄である控訴人啓太郎に対し売渡したものとして同月三一日その旨の登記を経由したものと認められる。

右認定に反する前記証人清野俊男の証言、原審における控訴人菊雄及び控訴人啓太郎の各供述の一部は信用できない。その他右認定を左右する証拠はない。

以上認定の事実によると、俊男は本件不動産が恭二郎の所有でないことを知つていたものというべく、したがつて、被控訴人は控訴人キヌに対し、本件不動産についての恭二郎の登記は、虚偽の意思表示として無効であることを主張することができるものといわなければならない。

(四)  控訴人キヌが本件不動産の登記簿の記載を信頼して本件売買契約を締結したものであるから、取引の安全を確保するため同控訴人が保護せらるべきであるとの主張については、当裁判所は原審と所見を同じくするから、この点に関する原判決の理由二を引用する。

そうすると、控訴人キヌはたとえ登記簿の記載を信頼して恭二郎と本件売買契約を締結したものとしても、恭二郎は無権利者であるから、本件不動産の所有権を取得するに由なく、本件不動産は依然として被控訴人の所有にかかるものというべく、したがつて本件売買契約にもとづき同控訴人が経由した前示所有権移転登記は無効というべきである。

ところで、控訴人らはいずれも本件不動産が被控訴人の所有であることを争うから、被控訴人は地上立木を含む本件不動産が被控訴人の所有であることの確認を求める利益を有するものというべく、右確認並びに実体関係にそわない控訴人キヌが経由した前示所有権移転登記の抹消登記手続を求める被控訴人の本訴請求はいずれも正当としてこれを認容すべきである。

第二 (控訴人キヌ及び控訴人菊雄の反訴請求について)

控訴人キヌが本件不動産の所有権を取得することができないことはすでに本訴請求において判断したとおりである。したがつて控訴人菊雄及び控訴人啓太郎が主張のごとく控訴人キヌからそれぞれ本件不動産を買受ける契約を締結しても、これにより本件不動産の所有権を取得するに由なく、また、被控訴人が右売買契約により本件不動産の所有権を失うべきいわれはない。それゆえ、被控訴人は登記なくして控訴人らに対し本件不動産の所有権を主張することができ、被控訴人が山形地方裁判所の仮処分決定(同庁昭和三二年(ヨ)第一一六・第一一九号仮処分事件)にもとづき、控訴人菊雄に対し原判決第一物件目録記載の各不動産につき、売買その他の処分並びに立入つて地上立木の伐採・搬出等を禁止する旨の仮処分を、控訴人啓太郎に対し原判決第二物件目録記載の各不動産につき右と同旨の仮処分を執行しても、被保全権利を欠くものということができない。

そうすると、控訴人キヌが恭二郎との本件不動産の売買契約によりその所有権を取得したこと及び被控訴人がした右仮処分が違法であることを前提とする控訴人キヌ及び控訴人菊雄の反訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも失当としてこれを棄却すべきである。

第三 (結論)

以上と同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がない。

よつて、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

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